新古典主義とヒンデミット

ヒンデミット新古典主義について。

ヒンデミットは19世紀末に生まれて、ふたつの世界大戦を経験し、1963年に亡くなるという、激動の時代を生きた人です。

ヒンデミットが全盛期のとき、歴史とともに音楽も混沌としており、その中でこの人がとったスタイルは「新古典主義(即物主義とも)」と呼ばれるものでした。

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早速ヒンデミットの生い立ちやらを調べようとしましたが、とにかく資料が少ないことに気づきます。
では新古典主義について書かれた本はあるかどうかと調べたら、それもない。
一大ムーブメントを起こした新古典主義ですが、まるで歴史の渦にのまれて消えてしまったかのように、悲しくなるくらい資料が少ないのです。

新古典主義ヒンデミット以外にも、ストラヴィンスキーバルトークフランス六人組プロコフィエフ・・・というように、面白い素材にあふれているように思います。ただ、例えばストラヴィンスキーの資料よりもフルトヴェングラーの資料のほうが多いくらいで、明らかに扱いが冷たいように思うのです。ストラヴィンスキーももっと評価されていい人物だと思いますが。

こんな資料が少ない中で、Wikipediaヒンデミットの生い立ちとかが詳しく書いてありますが、本当にどうやって調べたんでしょう。

やっと新古典主義のことが書いてある本を見つけても、なんだか断片的で、まとまったわかりやすい資料がないので、この時期の全体像をつかみにくいのです。

それならということで、少ない資料の中から、ヒンデミットとか新古典主義とかについて書こうと思います。(付け焼刃の知識で書いたので間違っている部分があると思いますがご容赦ください。)

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新古典主義

そもそも新古典主義というのは、19世紀末に発生した考え方で、
「いまどきワーグナーみたいなバカでかいお涙ちょうだい系とかダセェから。バッハみたいにシンプルなのがカッケェから。」
超乱暴に言ってしまうと、こういう考え方から出発した概念のようです。

ロックでいうと、カート・コバーンがロックの概念をガラッと変えて、90年代の方向性を決めてしまったような、そんな感じでしょうか(この例えは的を射ている?)。

新古典主義の流れ自体は19世紀末頃から始まっていたようで、大まかにまとめると、
  - フランスのサティが超シンプルでヘンテコな音楽を作り、
  - イタリアのブゾーニが概念を提唱して(バッハへ還れと言ったとか)、
  - ロシアのストラヴィンスキーが決定打となる曲を作って、
  - フランス六人組がその影響を世に知らしめた、
という流れですかね。
ここまで、だいたい1930年代頃までの動きです。

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で、第二次大戦が終わりしばらくすると、新世代の現代音楽が台頭してきて、衰退していきます。

その後はあまり顧みられなくなってしまい悲しい限りですが、全盛期の影響力は、今では信じられないくらい強く、パッと見あまり関係なさそうなR.シュトラウスにも影響を与えているようです(ナクソス島のアリアドネは、楽器編成が他の作品と比べて小さく、当時のトレンドを取り入れています)。

新古典主義の音楽が現代であまり顧みられないのは、ずばり「聴いていて面白くないから」でしょう。
そもそもの理念が、ロマン派のメロディ(抒情性)を排除することから始まっているので、感動する要素が少ないのです。

衰退してしまった新古典主義ですが、2000年以降に古楽器がブームになったりして、ブゾーニの"バッハに還れ"の理念は、かたちを変えて音楽家の心の奥底に深く根付いているように思います。

では、ヒンデミットはこの流れの中で何をしていたのでしょうか。


ヒンデミット

この人の場合、世代的にはフランス六人組とほとんど一致しています。
楽器はヴィオラを弾いていましたが、オケで登場する楽器はほとんど弾けたりして、かなりブッ飛んだ才能を持っていたらしいです。
ほかには自分の理論を体系立てて本を出版したりして、マルチな才能を持っていたみたいですね。

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ヒンデミット単体で扱った本が無いので、彼のことを調べようと思うと、周りのエピソードからヒンデミットの境遇を洗い出していくしかないようです。
そこで絶対避けて通れないのが、フルトヴェングラーナチスです。

このへんは主にスキャンダル的なエピソードで、ざっくり言うと、
ヒンデミットが問題児だからナチスゲッペルスとかがヒンデミットイジメていたら、フルトヴェングラーヒンデミットをかばったけど、結局、問題児をかばったフルトヴェングラーが干された。ヒンデミットは渡米。」こんな流れでした。

ヒンデミットの作品の良し悪しではなく、「あの」フルトヴェングラーのエピソードがあったから、ヒンデミットという人の知名度が上がったと。演奏家>作曲家という構図が20世紀らしいですね。

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ヒンデミットは最初はヒトラーに気に入られていたようですが、彼がかなりきわどい作品「今日のニュース」を上演すると、一気に糾弾されてしまいます。
ヤバそうな作品はヒトラーのお気に召さなかったんですね。

ナチスが芸術作品を批判したのには明確な基準があるわけでもなくて、「なんとなく気に入らないやつは全部切っちまえ」的な発想で、独断と偏見にもとづいてバッサバッサと上演禁止にしまくっていました。
ちなみにこのオペラ「今日のニュース」は、裸(のように見える)女性が浴槽に入って歌うというシーンがあり、それが当時は大問題になりました。
当時の他の作曲家の例に漏れず、かなり尖った曲作りをしていたんですね。世相を考えると勇気ありまくりの攻め方でしょう。

当時のナチスは、伝統的なドイツ音楽ではないアバンギャルドなものはすべて「頽廃音楽」の烙印を押していたので、当時最先端をいく作曲家は、肩身の狭い思いをしていたようです。

欧州中で新古典主義が浸透する中で、ヒンデミットはドイツで自分の尖った音楽をひっさげて、体制に圧力をかけられながら、奮闘していたわけです。
ロックの精神というか、正義の反逆児のエネルギーを、ヒンデミットから感じることができます。


ナチスと規制>

少し話がずれますが、ナチスが最も力を入れて攻撃していたのが、ユダヤ人作曲家でした。
これに関してナチスは、もう作品の良し悪しは関係なくて、とにかくユダヤ人だからという理由で、バンバン禁止にしまくっていました。
その筆頭がメンデルスゾーンでした。
他にもマーラーの作品も禁止されています。ナチス時代以前、ドイツではマーラー作品は何度か上演されていたらしいですが、それらがナチス後は禁止され、かわりにプフィッツナーという作曲家の作品に置き換えられてしまっています。
プフィッツナーさんの作品は聴いたことがありませんが、当時はエース級の作曲家だったのでしょう。

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ナチスメンデルスゾーンの作品を上演禁止にしようとしましたが、すでにドイツ国民に浸透していたので、これには規制する側も苦労したようです。
特に「真夏の夜の夢」の劇音楽は、聴衆はみんなメンデルスゾーンの音楽に慣れ親しんでいたので、メンデルスゾーンじゃない真夏の夜の夢なんて考えられない、それくらいポピュラーになっていた曲でした。
ナチスメンデルスゾーンを禁止にするかわりに、他の作曲家に真夏の夜の夢の作曲を依頼しましたが、出来上がったものはなんだかパッとしない曲で、結局メンデルスゾーンがいかに偉大な作曲家だったか認識する結果となりました。

 

ヒンデミットと同時代の人たち>

ヒンデミット新古典主義時代のドイツ代表として活躍していましたが、新古典主義といってもスタイルが色々あって、例えばストラヴィンスキーとはやり方が異なっていたようです。

ストラヴィンスキーの場合は、「プルチネルラ」でペルゴレージの作品を蘇らせた手法、いわゆるコラージュのようなやり方を採用し、その後はバレエ発の独特のリズムをベースに、木管楽器を重視した、乾いた作風を突き進みます。
ヒンデミットのほうは、バッハの対位法を現代の技法でもって自分流に昇華させています。
新古典主義時代でのヒンデミットの代表作は、一連のソリストと小編成のオケによる、「室内音楽」でしょう。
この小編成オケというのは時代のトレンドで、例えばシェーンベルクは室内交響曲ストラヴィンスキーは兵士の物語に取り入れています。
これは当時の世界情勢と密接に関係していて、第一次世界大戦のせいで楽団員を確保できないため、苦肉の策として小編成オケでも演奏できる曲を作ったという背景があったようです。

結局、ナチスに攻撃されたヒンデミットアメリカに移住します。
ストラヴィンスキーも、シェーンベルクアメリカに渡るのですが、それぞれ独自のスタイルを突き詰める方向に行きます。

ヒンデミットアメリカで「ウェーバーの主題による交響的変容」を書きあげ、結局、そのあたりの後期に書かれた曲が、ヒンデミットの生涯の代表曲となります。

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ヒンデミットの曲は、かっちりと真面目につくられているようですが、悪く言うと、ストラヴィンスキーなどのような「華」がないので、「名前は知っているけど曲は知らない人」の代名詞のようになっているように思います。

ですが、皮肉りまくったパロディみたいな曲も作っていたりと、面白い曲をたくさん作っています。
実は「真面目にバカなことをやる」タイプの、面白いオッサンだったのかもしれませんね。

対位法を徹底的に研究して自分のスタイルに取り込んだりと、ブゾーニが言った「バッハに還れ」をもっとも忠実に追い求めた人かもしれません。
マルチな才能を持ちつつ、ある意味器用貧乏なヒンデミットに、もっとスポットライトが当たってもいいのではないでしょうか。

もっと色々と曲を聴いてみたいと思いますが、いかんせんリリースされているCDが少ない!まとまったBOXものなんかがリリースされたら楽しいんですけどね。

将来もっと価値が認識されて、知名度が上がることを祈りましょう。