チャイコフスキーの悲愴について

チャイコフスキー交響曲6番"悲愴"が好きです。

それぞれ雰囲気の異なる楽章ごとにきれいなメロディがバンバン登場する、とっつきやすい曲です。
この曲が初演された9日後にチャイコフスキーは死去している(ウィキによると)ので、人生の総決算といえる、まさに最高傑作というにふさわしい曲でしょう。

私が最初に聴いたチャイコフスキーの曲はこの悲愴でした。とても気に入り、アマオケに参加するようになってからも、当初の目標を「いつか悲愴を弾くこと」にしていました。
(その目標は3年で達成してしまい、しばらく目標を失ってしまうのですが・・・。なんて安易な目標だったことか。)

最初に気に入った楽章は3楽章でした。派手な曲=楽しい、いい曲だ というシンプルきわまりない理由で好きになり、3楽章ばかり聴いていた時期があります。色々なCDを買ってきては3楽章だけを聴き比べて、「カラヤンさんのCDは終わり方が派手でいいなぁ」とか、いっちょまえに思ったりしたものです。

3楽章しか聴いていなかったので、それ以外の楽章は無駄というか刺身のツマのようなものだと思っていました(豪華なツマです)。

ところが、アマオケでこの曲を弾くようになってから、目から鱗が落ちたような感覚を覚えます。
1楽章の冒頭のベース和音の不吉さに衝撃を受け、そこから主題の美しさ、爆発的な展開部を経て、最後は主題がもう一度出てきて、その後は静かに曲が終わっていくという、ひとつの楽章なのにふんだんに詰め込まれたドラマがある。
2楽章は7拍子に翻弄され(なぜかこの曲の良さが今までずっとわからない)、3楽章はCDで聴いたとおりに楽しめる。
そして4楽章で曲名の「悲愴」を体現し、すべてを諦観したように静かに終わる。
なんという完成された曲だろう!と、弾きながら感動しっぱなしだったように覚えています。

自分で曲を弾いた結果、悲愴の中で最も好きな楽章は1楽章となり、それは今でも変わっていません。
この楽章は、「ドラマチック」を演出するためのありとあらゆる要素が詰め込まれており、これだけで物語が完結してしまっています。
暗(序奏) → 明 → 暗(展開部) → 明(終結) という流れになっていますが、これで物語に必要なものがすべて揃ってしまっているように思うのです。

ベートーヴェンの運命や、以前書いたラフマニノフ2番などは、1楽章から4楽章を通すことで闇から光へ昇華されていくのですが、悲愴の場合は1楽章だけでそれをすべて完結させてしまっています。
まるでこの楽章だけで交響詩として独立できてしまうような、そんなエネルギーを持った楽章だと思います。

 

◆私のツボポイント◆
1楽章終結部の、静寂の部分。(クラリネットソロから楽章終了まで)

1楽章のクラリネットのソロは、展開部に入る直前および終結部と、2か所存在します。
それぞれ調が異なりますが、旋律は途中まで全く同じです。
そう、その「途中まで全く同じ」というのが重要で、それを基点に途中から変化することで、聴く者に与える印象を一層強くする効果がある(はず)です。

下の譜例を見てみましょう。

 

<1楽章のクラリネットソロの比較>

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途中まではどちらも同じ旋律ですが、前半はその後下降音型に入り、ファゴットに渡した後、展開部の爆発音へと続きます。
それまでのこの部分は、悲愴のハイライトともいえる美しい主題を弦が奏でており、いわゆる「明」の部分にありますが、そのまま明のまま解放される・救われるのか…と思わせておきながら、展開部の爆発音で裏切られる、という仕組みになっています。ここではまだ救いは起こっておらず、絶望の淵に立たされたままなのです。
展開部に入る直前のクラリネットファゴットのソロは、救いは起こらないということを悟っていながら、それでも淡い期待を持ち続け、しかし力尽きてしまう…。そうやって失われた儚い命を連想させられます。

一方で後半のクラリネットのソロは、前半で下降音型となった部分では一転して明るい旋律に変わり、そのまま主題を弾き切ります。そして金管の優しいコラールへバトンタッチし、その淡い音色のまま、弱いティンパニの音と共に楽章が終了します(なお金管の裏では弦楽器が全員でピッチカートしてるのですが、その旋律は単に"ドシラソファミレド"の音階を弾き続けているだけなのです。それなのにこの演奏効果!!チャイコフスキーの神業的なセンスが存分に発揮された部分でしょう)。
前半のクラリネットソロの部分で救われなかった命が、ここでようやく天に召される。救いは起こったのです。そういうストーリー性を感じずにいられないのです。

 


私のお気に入り

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チェリビダッケ。他にも色々入ったお買い得セットです。
悲愴1楽章は、通常なら18分前後で終わるのですが、このCDでは25分もかけています。まるでマーラーかというくらい。
主題の旋律が気が狂いそうになるくらい遅くなっていますが、それが終結部のクラリネットソロで抜群の効果を発揮しています。
遅すぎてもはや別の曲のように聴こえますが、不思議と嫌らしさは感じません。遅くする必要があるから遅くした、以上それだけ。そう言っているように聴こえます。

なおこのセットには展覧会の絵も収録されているのですが、これも素晴らしい演奏だと思います。