マーラーのピアノ四重奏: 若さと情熱と耽美と

マーラーのピアノ四重奏が好きです。

マーラー交響曲と歌曲のスペシャリストですが、実は学生時代には室内楽をいくつか作っていたとのことで、すべて失われたと思われていたようですが、実際にはピアノ四重奏だけが唯一残っていたそうです。

勝手なイメージですが、マーラー管弦楽は、なんというか非常にオープンな作風という印象を受けます。
(私ごときがマーラーを語るのはおこがましいのですが、あえて思ったことを書きます)
曲は大規模で複雑ですが、根底の発想はいたってシンプルで、飾らないむき出しの本性をそのままぶつけてくる、要は「つべこべ言わずに俺の歌(曲)を聴け!!」とグイグイ迫ってくる、そういった印象です。

そのマーラーがハタチ頃に作ったピアノ四重奏ということで、若さ丸出しの情熱がこれみよがしにぶつかってくるのでは、と思いたいところですが、たしかに情熱がぶつかってはくるのですが、ただ、旋律がとてもピュアなのです。非常にピュアな美しい情熱が溢れてきます。

若者の青臭い苦悩を滲ませ、ただし突っ走りすぎない、メリハリのついた構成の曲になっています。
そして内省的な、マーラーにしては珍しい(?)、心に深くしみわたるようなメロディが展開されます。

世界観としては交響曲9番の4楽章に近いでしょうか。
一言でいえば「耽美」な独特の境地に達していると思います。

この独特の耽美な感覚は、何かに似ていると思います。ブラームスか、シューマンか、いやそこまで土臭い音楽ではない。
では何に似ているかというと、おそらくシューベルトではないでしょうか。

マーラーシューベルトはどこか似通った部分があると思います。
歌曲が重要な要素を占めていること、曲が妙に長いこと、そしてどことなく陰のある耽美な世界観です。

マーラーの四重奏と、シューベルトの晩年の弦楽四重奏群、特に14番(死と乙女)と15番が、どことなく似た匂いを感じるような気がします。
シューベルトの晩年の作品と、マーラーの門出の音楽の雰囲気が似ているというのは、なんとなく運命じみたものを感じます。まるでシューベルトの遺志、若くして亡くなった天才が現世にやり残したことをマーラーが継いだような、そんな気さえしてきます。

そしてマーラーの人生最後の作品、交響曲9番(と10番)が、同じく耽美な雰囲気の曲で締めくくられているのも、何か意味深なように感じるのは変でしょうか。

ピアノ四重奏を作曲した後、マーラーはどんどん大規模な管弦楽のほうにシフトしていきますが、ときどき昔を思い出すように室内楽を作ってみても面白かったのではないか、と想像してしまいます。


◆私のツボポイント◆
序盤、速いテンポへ転換する場面。

Mahler: Pianokwartet in a kl.t. / Piano quartet in a minor

この動画の1:23頃です。このピアノカルテットのことはよく知りませんが、とても上手いですね。
あふれるピュアな情熱スタートという感じの、気持ちの良いメロディです。マーラーでこんなに気持ちよく口ずさめるメロディが他にあるでしょうか。


ちなみに、この動画の後半はシュニトケのピアノ四重奏ですが、こちらも素晴らしいです。
マーラーの若さあふれる作風とは異なり、こちらは完全に邪悪路線で攻めてきています。
動画の15:50のあたりから始まる、邪悪な意思(?)のようなものと、あわせてピアノが打楽器的に不協和音を重ねてくるところを聴くと、体が震えてきます。
シュニトケはピアノ五重奏という傑作も残しています。狂気を非常に聴きやすくコンパクトにまとめてくれていて楽しい曲です。)


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なお、マーラーのピアノ四重奏は、2010年の映画「シャッターアイランド」で重要なテーマとして登場します。
ディカプリオ主演の映画で、主人公が消えた人物を探しに孤島に乗り込む・・・というストーリーなのですが・・・。

もう8年も前の映画なので言ってしまいますが、ストーリーは一言で表すと「夢オチ」です。なんじゃこりゃあです。
マーラーを楽しむためだけの映画といってもいいでしょう。
(映画では、マーラーのピアノ四重奏が流れる場面で、この曲が第二次世界大戦の記憶と繋がっている、という設定になっています。
 戦場でこの曲のレコードが流れるような場面があるのですが、第二次世界大戦の当時はこの曲はまだ発見されていない、少なくともレコードが発売されているわけがないので、無理があるでしょう。夢オチなんだから何をやってもいいだろうという作り手の意図もあるかもしれませんが。)

 

チャイコフスキーの悲愴について

チャイコフスキー交響曲6番"悲愴"が好きです。

それぞれ雰囲気の異なる楽章ごとにきれいなメロディがバンバン登場する、とっつきやすい曲です。
この曲が初演された9日後にチャイコフスキーは死去している(ウィキによると)ので、人生の総決算といえる、まさに最高傑作というにふさわしい曲でしょう。

私が最初に聴いたチャイコフスキーの曲はこの悲愴でした。とても気に入り、アマオケに参加するようになってからも、当初の目標を「いつか悲愴を弾くこと」にしていました。
(その目標は3年で達成してしまい、しばらく目標を失ってしまうのですが・・・。なんて安易な目標だったことか。)

最初に気に入った楽章は3楽章でした。派手な曲=楽しい、いい曲だ というシンプルきわまりない理由で好きになり、3楽章ばかり聴いていた時期があります。色々なCDを買ってきては3楽章だけを聴き比べて、「カラヤンさんのCDは終わり方が派手でいいなぁ」とか、いっちょまえに思ったりしたものです。

3楽章しか聴いていなかったので、それ以外の楽章は無駄というか刺身のツマのようなものだと思っていました(豪華なツマです)。

ところが、アマオケでこの曲を弾くようになってから、目から鱗が落ちたような感覚を覚えます。
1楽章の冒頭のベース和音の不吉さに衝撃を受け、そこから主題の美しさ、爆発的な展開部を経て、最後は主題がもう一度出てきて、その後は静かに曲が終わっていくという、ひとつの楽章なのにふんだんに詰め込まれたドラマがある。
2楽章は7拍子に翻弄され(なぜかこの曲の良さが今までずっとわからない)、3楽章はCDで聴いたとおりに楽しめる。
そして4楽章で曲名の「悲愴」を体現し、すべてを諦観したように静かに終わる。
なんという完成された曲だろう!と、弾きながら感動しっぱなしだったように覚えています。

自分で曲を弾いた結果、悲愴の中で最も好きな楽章は1楽章となり、それは今でも変わっていません。
この楽章は、「ドラマチック」を演出するためのありとあらゆる要素が詰め込まれており、これだけで物語が完結してしまっています。
暗(序奏) → 明 → 暗(展開部) → 明(終結) という流れになっていますが、これで物語に必要なものがすべて揃ってしまっているように思うのです。

ベートーヴェンの運命や、以前書いたラフマニノフ2番などは、1楽章から4楽章を通すことで闇から光へ昇華されていくのですが、悲愴の場合は1楽章だけでそれをすべて完結させてしまっています。
まるでこの楽章だけで交響詩として独立できてしまうような、そんなエネルギーを持った楽章だと思います。

 

◆私のツボポイント◆
1楽章終結部の、静寂の部分。(クラリネットソロから楽章終了まで)

1楽章のクラリネットのソロは、展開部に入る直前および終結部と、2か所存在します。
それぞれ調が異なりますが、旋律は途中まで全く同じです。
そう、その「途中まで全く同じ」というのが重要で、それを基点に途中から変化することで、聴く者に与える印象を一層強くする効果がある(はず)です。

下の譜例を見てみましょう。

 

<1楽章のクラリネットソロの比較>

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途中まではどちらも同じ旋律ですが、前半はその後下降音型に入り、ファゴットに渡した後、展開部の爆発音へと続きます。
それまでのこの部分は、悲愴のハイライトともいえる美しい主題を弦が奏でており、いわゆる「明」の部分にありますが、そのまま明のまま解放される・救われるのか…と思わせておきながら、展開部の爆発音で裏切られる、という仕組みになっています。ここではまだ救いは起こっておらず、絶望の淵に立たされたままなのです。
展開部に入る直前のクラリネットファゴットのソロは、救いは起こらないということを悟っていながら、それでも淡い期待を持ち続け、しかし力尽きてしまう…。そうやって失われた儚い命を連想させられます。

一方で後半のクラリネットのソロは、前半で下降音型となった部分では一転して明るい旋律に変わり、そのまま主題を弾き切ります。そして金管の優しいコラールへバトンタッチし、その淡い音色のまま、弱いティンパニの音と共に楽章が終了します(なお金管の裏では弦楽器が全員でピッチカートしてるのですが、その旋律は単に"ドシラソファミレド"の音階を弾き続けているだけなのです。それなのにこの演奏効果!!チャイコフスキーの神業的なセンスが存分に発揮された部分でしょう)。
前半のクラリネットソロの部分で救われなかった命が、ここでようやく天に召される。救いは起こったのです。そういうストーリー性を感じずにいられないのです。

 


私のお気に入り

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チェリビダッケ。他にも色々入ったお買い得セットです。
悲愴1楽章は、通常なら18分前後で終わるのですが、このCDでは25分もかけています。まるでマーラーかというくらい。
主題の旋律が気が狂いそうになるくらい遅くなっていますが、それが終結部のクラリネットソロで抜群の効果を発揮しています。
遅すぎてもはや別の曲のように聴こえますが、不思議と嫌らしさは感じません。遅くする必要があるから遅くした、以上それだけ。そう言っているように聴こえます。

なおこのセットには展覧会の絵も収録されているのですが、これも素晴らしい演奏だと思います。

フランクのピアノ五重奏

 フランクのピアノ五重奏が好きです。

全3楽章がすべて短調という、暗い(むしろ深刻な)印象を持ってしまう曲想なのですが、切なさの中に仄かな希望と激しい情熱が埋もれているように聴こえる、大傑作だと思うのです。

日曜の午後、それも雨が降っている静かな時間に聴くと、じわじわと心に沁みてきます。

 

フランクに限らず、ピアノ五重奏というジャンル自体が傑作を生み出すフォーマットのようになっているようで、フランクの他にはシューマンブラームスドヴォルザークフォーレショスタコーヴィチと、ざっと挙げただけでもこれだけ思いつくくらい、作曲家の代表曲となりうるジャンルのようです。(シューベルトは編成が特殊なので除外)

それだけ作曲にエネルギーを使うジャンルなのか、各作曲家とも1~2曲ずつしかピアノ五重奏を残していません。

フランクの場合は、晩年の傑作群(交響曲弦楽四重奏・バイオリンソナタ)の一角として作曲されており、ウィキによると初演は1880年に国民音楽協会だったとのことです。フランク58歳のことです。

…ということは、フランスの器楽曲が急激に近代的に進化する時代の曲だったようですね。事実、フランスの近代音楽史の中では、転換期における最重要の位置づけをされているようです。

ですが、国民音楽協会の発起人のサンサーンスには不評だったようで、彼が初演のピアニストを務めるものの、曲が気に入らないとか何とかで不機嫌になってしまい、演奏が終わると楽譜を捨て去ってしまったようです(ウィキによると)。

フランス人による器楽の向上を目的とした国民音楽協会の発起人のサンサーンスでしたが、新しすぎる音楽には拒否反応を示してしまうという、何とも言えないジレンマがあったわけでしょうか。国民音楽協会はその後、新しい時代のドビュッシー達を支える存在となるわけですから、サンサーンスの心境は複雑なものだったでしょう。

(ちなみにフランクはサンサーンスより13歳も"年上"です。フランクが先進的なオッサンだったのか、サンサーンスが歳の割に保守的な人だったのか…。)

 

<私のツボにはまるポイント>

 1楽章の終盤、弦楽器がメロディを弾いている裏でピアノが音階を駆け上がる部分

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上はピアノ譜の抜粋です。この音階に合わせて、弦楽器は長い音のメロディを奏でます。

この曲の切なさと情熱が見事に融和した、フランクらしさが全開の部分だと思います。この曲がピアノトリオでも、管弦楽曲でもなく、ピアノ五重奏でなくてはならないという強い説得力を持った部分だといえると思います。

 

 動画がありました。


The Ebène Quartet & V. Gryaznov play Franck

12:50頃から盛り上がっていき、13:30頃にピークに達します。
ツボポイントは13:43頃にあります。これらの一連の流れで、何ともいえない高揚感を味わえます。
(それにしても今をときめくエベーヌ四重奏団のライブ演奏がこうも簡単に見られるとは!)

 

私のお気に入り:

タカーチ四重奏団。現代最高峰のカルテットです。

演奏は素晴らしいですが、レジに持って行くのを躊躇してしまうジャケットです。

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