ショパンとリスト

僕が所属しているオケではいま、ショパンチャイコフスキーグリーグのピアノ協奏曲に取り組んでいます。
今まであまり興味のなかったこれらの曲ですが、CDを聴いてみるとびっくりするくらい素晴らしい曲で、なぜ今まで深く聴かなかったのだろうと反省するくらい感動しています。

そこでこの作曲家3名について調べてみたところ、意外と面白かったのでまとめてみることにしました。

この3名の年齢は、ショパンが一番年上で、チャイコフスキーグリーグショパンよりも30歳くらい年下です。
若い方の2名は、3歳違いというだけでほぼ同世代です。
彼らはひとくくりにロマン派と呼ばれますが、出身地域は全く違っていて、
 ショパンポーランド
 チャイコフスキー:ロシア
 グリーグノルウェー
このように3名ともてんでバラバラです。

バラバラなことで、お互い無関係なように見えますが、そこは才能溢れる大作曲家、重要な人物を介してお互いつながれていたりします。

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◆リストの存在(ショパングリーグとの関係
ショパンについて>
ピアノの詩人とよばれている、あまりにも有名な作曲家ですね。
あまりにも人気すぎて、「ショパンなんか女子供の聴くもの」みたいに思っているコアなクラシックファンもいるとかいないとか。
ですが、そんな簡単な言葉で片づけられないくらい偉大な方です。

ショパンは20歳くらいのとき、故郷のポーランドから、フランスのパリへ進出してきました。その後はフランスを中心に活動することになります。
途中、子持ちのジョルジュ・サンドという超絶個性キャラの女流作家と愛人関係になり、公私ともにバリバリ活躍します。
サンドさんとはけっこうな長い期間愛人関係が継続していたようですが、結局はお互いの考え方の違いから、破局してしまいます。

ショパンはサンドさんを心の支えにして生きていたようで、わかれたことが結構な精神的ダメージを負ったようです。
サンドさんのほうは、まだまだ女性が活躍するのが難しかった世の中で、ショパンの面倒を見つつ、自身は作家として成功していて、
バリバリのデキる女性できわめてタフ、一人でも何も問題なく生きていける人物でした。

何回も離婚を繰り返していたツワモノだったそうですが、そりゃこれだけパワーのある女性を男性が支配下に置こうとしても、
逆にボコボコにされるだけでしょう。

ショパンとリストの出会い>
場所はフランスのパリ。ショパンポーランドからフランスに状況(?)してきた20歳くらいのとき、すでにリストはピアノの達人としてパリで有名でした。
当時はここまで技術的に卓越した人物というのは画期的だったようで、一人の演奏の為だけに演奏会が開かれる、いわゆる「リサイタル」という形式を
克律したのがリストだったとか。
当時「演奏会」といえば、特定の演奏者をフィーチャーして行う現代の形式ではなく、ジャンルや演奏家の人数も問わず、色々な演奏家が次々に登場して
くるというような形式が、一般的だったと言われています。
リストはその神業的なテクニックと、ロン毛の美青年ぶりが加わり、そんなリストだけのためのリサイタルが開催されたというのだから、
それはもう想像を絶するくらいの人気ぶりだったのでしょう。

当時のコンサートというのは、それなりに身分の高い人たちしか聴きにきませんが、その聴き方は現代のような椅子にキッチリ座ってお行儀よく聴くのとは
少し違って、聴衆がステージに詰めかけて、ときには演奏家とお喋りをしたり、そういう軽い雰囲気だったとか。
ということは、ロン毛美青年のリストが華麗にピアノを弾き、詰めかけるファンと時々触れ合う。
まさに「会いに行けるアイドル」の元祖じゃないでしょうか。

 

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そういうことでリストとショパンが出会うと、二人は互いの才能を尊敬し合い、ショパンはリストに練習曲Op.10を献呈します。

色々とリサイタルについて書きましたが、当時、ピアニストが活躍するメインの場は、貴族やブルジョアが集うサロンだったと言われています。
パリのセレブの邸宅にあるサロンで、貴族が贅を尽くしたもてなしをする中で、一流のピアニストを呼んで演奏させる。
当時はDJもオーディオ機器も無いわけですから、そうやってピアニストの生演奏でパーティの雰囲気を盛り上げていたんですね。
当時のパリピはサロンでピアノ、ということです。ピアニストがDJの役割を果たしていたと。
かくしてリストもショパンという時代の寵児2名は、若くしてセレブのサロンの人気者になったのでした。

どちらも作曲家として名を馳せていましたが、二人の作風は、どちらかといえばリストは雰囲気重視、ショパンは親しみやすさ重視という
印象を受けます。(あくまで個人の感想です)

そういうショパンの親しみやすさがセレブ達に受け入れられて人気を博すようになり、リストはショパンを少しずつ妬むようになってきたといわれています。
そういったことで、リストがショパンを皮肉る文章を書いて公表したりしているのですが、実はリストはライバルとなるピアニストが出てくると、
ディスって叩き潰そうとしてくる、意外とセコいところがあったらしいです。
ショパンの他にも当時有名だったピアニストもいましたが、それに対しても公に批判するコメントを発表しており、
「邪魔な奴はメディアで叩く」という、手段を選ばないやり方でずる賢く生き残っていました。
なんだか政治家みたいですね。

派手好きで顔が広い、パリピなリスト(でもライバルは徹底的にディスって潰す方針)
内向的で繊細な、ショパン(愛人とよろしくやってましたが)
対照的な二人が、当時のサロンの音楽で主役になっていたのです。

結局、ショパンとリストは色々あって仲直りします。
リストはその後ドイツに行ったりと国境を越えて活躍し長生きしますが、ショパンはさほどフランスから動くことはしません。
ショパンはもともと身体が弱く、40歳を迎える前に亡くなってしまいます。


つづく(かも)